2004年の『ギター侍』ネタで一世を風靡した波田陽区さん。大ブレイクの後は、人気が下火になり、いわゆる「一発屋」という評価を付けられて久しいです。
波田陽区さんのギター侍のネタは、他の人を面白くイジることが多いので、炎上を起こすこともありました。そのせいで干されたのでは、なんて噂もありますが、それよりも、お笑い界の移り変わりの早さのせいと見る方が良さそうです。
一発屋と呼ばれても、テレビなどではたまに見かけますし、いろいろな芸を磨いて再ブレイクを狙っているようですね。現在はどうされているのでしょうか。
波田陽区のプロフィール!ギター侍で大ブレイク!でも残念‼
波田陽区さんのプロフィールをまとめてみました。
波田陽区(はたようく)
本名:大川晃(おおかわあきら)旧姓は波田(はだ)
生年月日:1975年6月5日(年齢45歳。2021年3月現在)
山口県下関市出身
山口県立豊浦高等学校卒
熊本学園大学商学部経営学科卒
2004年 『エンタの神様』でギター侍のネタを披露、ブレイクする
2007年6月5日 大学時代に知り合った元保育士の女性と結婚
2009年7月31日 長男が生まれる
2016年4月より福岡に居住し、九州を拠点に活動
趣味:宇宙研究、ジョギング、家庭菜園、ペタンク、料理、お絵かき
特技:書道、オセロ、ウインドミル、ボウリング、バドミントン、人の愚痴をずっと聞ける
ワタナベエンターテインメント所属
中学時代はバドミントンで全国ベスト16に入ったということです!意外ですね。
波田陽区という名前は、旧姓の波田と、華やかさが欲しいということでニューヨークと合わせて考えたものだったようです。
奥様の初美さんとの馴れ初めは、大学の学園祭での出会いで、波田陽区さんからの一目惚れだったそうです。人気が落ちてしまっていた2007年の結婚ですから、勢いで結婚した感じではないですね。初美さんは波田陽区さんの2歳年上で、スラっとして色白な、綺麗な方のようですよ。
結婚を機に、大川姓を名乗るようになったということですので、奥様の方の姓に変えたんでしょうね。婚姻届けの証人は間寛平さんです。
2004年のブレイク時には月収で2800万円までいった波田陽区さんですが、その後、人気が低迷して仕事が減ると、2015年に出演した番組では、月収5万円の時もあると話されていました。人気がピークの時には、月に300万円も後輩たちに奢っていたそうですが、人気が落ちると、周りにいた人たちは皆去っていきました。
ギター侍のネタで斬った有名人の数は1000人にもなると言いますが、その後は一発屋として斬られる、残念な立場になってしまいました。
ギター侍ブレイクからのしくじり先生。イタイ発言で孤立状態へ
上にあったように、ギター侍でブレイクしたピーク時には、月収が2800万円にもなったといいますが、急激に売れて人生が狂ってしまったようです。
仕事がなくなってしまうと、周りから人がいなくなり、「仲間だと思っていた人は全員盗賊だった」と思ったそうです。
後輩からも「人の話を聞いていない」「空気を読めない」と言われてしまう性格から、イタイ発言をしてしまい、更に人が寄り付かない状況になっていったようです。
イタイ発言の例で「映画見て泣いた事ないんすよー!」「そもそも人に興味がないんすよー!」などが、2015年の『しくじり先生』で挙げられました。人に舐められたくないという気持ちから、つい虚勢を張ってしまっていたのだそうです。また、子どもの頃はいじめられていたという過去も告白しました。
売れなくなっても強がっていて、先輩のアドバイスも聞き入れませんでした。
その後は、テレビでは一発屋芸人としての仕事ばかりが求められるようになり、世間体を気にして外に出るのも嫌になる時期もあったようです。
そんな時期でも支えてくれた人に、間寛平さんがいました。食事に誘ってくれ、ああしろこうしろとか、ダメ出ししたりするのではなくただ楽しく話をしてくれたそうです。間寛平さんの奥様も、初美さんをランチに誘ってくれたりしていたそうです。
40歳を機に一念発起、福岡へ移住。初めは空港でアルバイト
息子さんが生まれてから、「40歳になっても状況が変わらなければ、何かアクションを起こそう」と決めていたそうで、ワタナベエンターテインメントが福岡事務所を持っていることもあり、福岡への移住を決意しました。
はじめは仕事はなく、『イモトのWifi』の宣伝部長として、福岡国際空港のカウンターでWifiルーターを貸し出す仕事をしていたそうです。
仕事が増えていくきっかけになったのは、2016年のリオデジャネイロオリンピック。卓球の水谷隼さんと顔が似ていると話題になり、仕事の依頼がどんどん来たそうです。
そんなときも陰で支えてくれたのは奥様。卓球のユニフォームやラケットなどの小道具をそろえてくれたりしたそうです。また、水谷隼選手も、波田さんがツイッターを通じてお礼をすると、「バンバンやってください。でも、今はそんなに似てません。澤部佑に似ているといわれますから。残念!」とナイスな返事をくれて応援してくれたそうです。暖かいですね。
この頃からは、自分から「仕事をください」と頭を下げられるようになったと振り返っています。
今となっては福岡のテレビや山口のラジオなど、8本ほどのレギュラー番組を担当するほどになっています。
2021年3月23日放送のバラエティー番組『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)で、全国の女子アナ132人がリアルに選んだ「好きな芸人GP」が発表された際には、何と3位に波田陽区さんの名前がランクイン。投票した人のほとんどが山口の放送局のアナウンサーだったようですが、波田陽区さんの人気が山口で浸透している証ですね。
ギター侍から琵琶法師へ。波田陽区にしかない世界観で再ブレイクか
九州を拠点に活動を始めて、お仕事も軌道に乗っている波田陽区さん。
もはやいろいろなお仕事をこなすマルチタレントとしての活躍を見せていますが、芸人としての腕も磨き続けています。
YouTubeチャンネルは10年くらい前からやられていて、ギター侍のネタから始まっているのですが、目を引くのは、2014年からの『こんなところにフェニックス』シリーズ。金の着物を着た波田陽区さんが、いろいろなところから現れ、「フェニックス!」と言うだけのシュールなネタ。
一時は酷評も集まりましたが、波田陽区さんとしては、悪評も人気のうちだということで、その後の活動の布石になったと位置付けています。確かに、面白いかというと何とも言えないのですが、その頃からYouTubeで発信を続けていたというところは良かったと思いますし、意外と、見始めると次のも見てしまいたくなる変な魅力があります。
今、波田陽区さんのYouTubeで続いているのが、『波田陽区の琵琶法師への道』です。サガテレビの企画で始まったようですが、これまでのギター侍としての経験と重なって、良い方向に進みそうな感じがします。
琵琶法師って、古臭いイメージがあったのですが、波田陽区さんを通して今風の琵琶を聴くと、自由で面白い表現ができるんだな、と感動しました。
波田陽区さんにご指導下さっている琵琶奏者の北原香菜子先生も、気さくな感じで琵琶の魅力を伝えて下さっていて、北原先生の琵琶ももっと聞きたいと思えました。
琵琶の魅力を知ることができる、本当にいい番組になっていると思います。
是非、波田陽区さんには、琵琶奏者としての活動も続けていって欲しいと思います。これからの活躍が楽しみですね!
波田陽区さんの最新情報は、こちらでチェックできます!
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