ドラマ、バラエティ、情報番組で活躍中の副島淳さん。今ですと、『あさイチ』(NHK)の火曜日レギュラーとして「クイズとくもり」で安定したトークを見せてくれています。
副島淳さんといえば、アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんの間に生まれたハーフとして、幼少時代から波乱万丈の人生を送ってきているということで、多くの苦難を乗り越えてきたエピソードが知られるようになってきましたね。
副島淳さんが生まれた時から、お母さんはシングルマザーで、ほとんど女手一つで育てられたという生い立ちがあります。
今やスターと言っても良い活躍の副島淳さんですが、お母さんとはどのような関係を築いているのでしょうか。
副島淳のプロフィール!笑っていいとも!が芸能界デビューのきっかけ
副島淳さんのプロフィールは、
副島淳(そえじまじゅん)
生年月日:1984年7月18日(年齢36歳。2021年3月現在)
東京都大田区生まれ、千葉県浦安市育ち
身長:195㎝(アフロヘアーを入れると210㎝)
浦安市立美浜中学校卒
柏市立柏高等学校卒
東京成徳大学日本伝統文化学科卒
中学時代からバスケットボールに打ち込む。高校では全国大会経験
2010年 『笑っていいとも!』の素人出演コーナーがきっかけとなり芸能界デビュー
特技:バスケ、習字、サッカー
趣味:温泉・銭湯、ラーメン食べ歩き、映画鑑賞、野球、相撲
リミックス所属
ツイッター
インスタグラム
ブログ(ブログの最終更新は2020年6月。SNSに移行したのかも知れませんね)
身長195㎝!高いですね!確かに、出演されている『あさイチ』でも、鈴木奈穂子アナウンサーとの身長差が物凄いですからね!ネットで画像を検索してみると比較写真みたいなのがいっぱいありますよ!
『笑っていいとも!』をきっかけにテレビに出るようになっても、飲み屋さんでアルバイトを続けていて、芸能界で一旗揚げるつもりなどなかったそうですが、舞台出演の機会を得てから、本格的に打ち込むようになったようです。
趣味のラーメン食べ歩きというのは、親近感が湧きますね。ツイッターなどでも、ラーメン屋さんの写真が出てくることがありますね。2020年のお正月には、年始に必ず行くという豊川稲荷に参拝した後、赤坂に行けば必ず行くという『じゃんがらラーメン』の写真があります。ちなみに豊川稲荷と言えば、芸能の神ということで、芸能人の方が多く行く神社ですね。
高校時代、バスケットボール部でチームメイトだった太田敦也さんが所属する、Bリーグ・三遠ネオフェニックスの応援アンバサダーも務めています。
副島淳の家族関係!父は元俳優?母と祖母の愛で育つ。
副島淳さんは、アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれましたが、お父さんは、日本で俳優をやられていた、ウイリー・ドーシーさんという方でした。淳さんが生まれた時から、一緒に暮らしていなかったので、全く知らずに育ったようですが、テレビ番組の企画で父を探し、ドーシーさんであることが判明しました。
ドーシーさんと、別の女性との間には淳さんの兄に当たる方がいて、それが元プロバスケットボール選手で日本代表にもなった、高橋マイケルさんだということでした。淳さんがバスケットボールをやられていたときに憧れていた選手だったということで、大変驚いたそうです。
淳さんが小学2年生の時には、一緒に暮らすようになった男性ができ、淳さんもお父さんができたと喜んでいたそうですが、結婚すると豹変、父は家で暴れるようになったそうです。それが嫌で夏休みに公園で寝泊まりしていたところ、淳さんは誘拐に遭ったものの、貧乏過ぎて金銭を要求できないことが分かると、解放されたというエピソードがテレビで公表され、話題となりました。ちなみに、その男性と、お母さんとの間には淳さんの妹さんを授かりました。
離婚となりましたが、その男性方の祖母が、淳さんを気にかけて世話をしてくれ、淳さん、妹さん、お母さんはお祖母さんと一緒に暮らすようになりました。お祖母さんは、三味線の師範代をされている方で、淳さんの躾について、厳しく教えてくれました。
いじめられっ子時代にかけられた母の言葉。バスケも人生の転機に
副島淳さんは、アメリカ人とのハーフということで、他の子と見た目が違うという理由で、小学4年頃からいじめに遭います。サッカーのゴールに見立ててボールを蹴りつけられるなどということもあったそうです。
「何で産んだんだ」「お母さんは日本人。どうせ分からない」とお母さんに対して当たる言葉を掛けたこともあったそうですが、お母さんは「周りと違うことはいつか武器になる」と励ましたそうです。
また、中学から始めたバスケットボールが淳さんにとって転機となりました。身長が30㎝も伸び、バスケも上達すると、見た目をからかわれても、冗談で返せるようになり、友人関係も良くなっていきました。
淳さんはいじめられっ子から脱することができたのですが、最近、お母さんから言われたあの言葉をテレビで話したところ、お母さんからは、あの時は申し訳なかった、と謝られたそうです。
淳さんにとっては、母から励まされ、逃げずに進んだことが自分にとって良かったと思っていたので、謝られることは意外でした。
お母さんは会津若松から東京に出てきた方で、19歳で未婚のまま、アメリカ人の方との子供を産みました。母方の祖父は、教育者で厳格な方だったので、出産に反対だったそうです。お母さんも、そんな厳しかったお祖父さんの影響もあってか、淳さんに逃げ道を作らなかったことを、後になって思い直していたのでしょう。
今では、お母さんとは頻繁に連絡を取るわけではありませんが、『あさイチ』に出始めた時には、「調子に乗るなよ」とLINEが来たりしたようで、お母さんがテレビ出演をチェックして気にかけているのが分かります。
副島淳さんは、いじめを克服できた先輩として、テレビ番組で子供たちにアドバイスしていましたが、それは、「生きていればいいことがある」「つらいときは逃げていい」ということでした。ご自分は逃げずに克服した強さがあったけど、そうできない状況にある子もいることを理解している、優しい言葉だと思います。
これからもみんなに明るさと元気を届けていって欲しいですね!
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